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私の仕事歴

25歳 地方銀行の大型コンピュータのオペレータ(運用担当者)になりました。
あの頃は、コンピュータの運用もおおらかでした。今だから言えますが、実は稼働中のホストコンピュータの電源を切ったことがあります。(1度だけですよ)諸先輩方のおかげで、大きな遅れもなく無事その日の処理は完了しました。
​その後、効率の悪い手書きのフローチャート作図から、パソコンソフトでの作図に切り替えました。平社員が初めて稟議を書いて購入した思い出深い出来事です。
26歳 口座振替のプログラマーになりました。
30年以上前の口座振替は、電話料金や電気料金を預金口座で決済するぐらいしか普及していませんでした。しかし、私が担当になる頃より、全銀協(銀行の団体)が決めた共通データ様式を使用して口座振替で集金する企業が増えてきました。
​委託先が少ない時代のプログラミングは、全て個別対応でしたので、システムには特別処理が満載、トラブルも沢山発生していました。私は、共通データ様式をベースに特別処理を排し処理を単純化に取り組みました。その結果、徐々にトラブルも減少して行きました。
27歳 ファームバンキングの担当になりました。
ファームバンキングとは、前述の口座振替や給与振込などをデータ伝送で銀行に送る仕組みを言います。当初は大手企業が主に利用していましたが、手数料の割引があるということで徐々に利用者が増加しました。
利用者が増加すると、受信したデータを確認する作業が増加します。他行では人海戦術で対応していた時代、私はパソコンにより確認する方法を導入しました。これにより、その後、顧客数は大幅に増加しましたがシステム化することで担当者は、他の仕事(後述)を担当してもらえるようになりました
28歳 ファームバンキングのソフトを作りました。
ファームバンキングは、中堅企業を中心に導入が進みましたが、システムを自社開発するか、専用端末を購入しなければなりませんでした。いづれにしても、最低20万円以上の出費です。中小企業には、手数料の割引だけでは償却できないので、導入が進みませんでした。実は、ファームバンキングは金融機関側にもメリットがあります。つまり、紙で振り込みを依頼されると入力の手間がかかるのです。だから積極的にファームバンキングを推進したかったのです。
私は、パソコン上で稼働する安価なソフトをとあるベンダーから購入したのですが、正常に稼働しません。そこで、知人と共にファームバンキングソフトを作ることを決心し、苦労しながら完成させました。このソフトは、NECや富士通、IBMどのメーカーのPCでも稼働する画期的なソフトで、その後10年以上愛用されました
30歳 県互助会控除の仕組みを作りました。
私が新入行員の時は、公務員の給与は、まだ現金支給でした。それから何年か経ち給与振込になったのですが、その際互助会の集金事務を当行が行うことになりました。多数の通帳と伝票が給与支給日毎に窓口に持ち込まれ、職員も行員も大変でした。そこで、これをシステム化することになったのですが、協議する相手は巨大組織。当時の公務担当者のご尽力により何とか事務を組み立てて省力化を進めました。そこから20年、テクノロジーの進歩に合わせて、データエントリー(人海戦術)から始まりOCR(初代はNECのデスクトップ型で、半自動)化を行い、県の財務会計システム(後述)で導入した大型OCR(日立製)に移行、紙ベースの控除依頼からフロッピーベースに変更し、フロッピーからデータ伝送へ、そしてついに、互助会側にサーバーが構築されて、庁内のネットワーク上で処理するまでに進化しました。これにより、互助会控除は、普通の口座振替と振込に汎化され、特殊処理は消滅しました。そのころになると、データエントリーの担当者もご退職され、仕事が無くなっても良い状態になっていました。
私は、幸運なことに、システムの誕生から廃棄まですべての道程を歩ませてもらい、身をもって技術の進歩とシステムのあるべき姿を学ばせていただけました
35歳 県の財務会計システムを担当しました。
指定金融機関は県のお金の出入りを記帳して預金残高と照合する義務があります。また、県に納付されるお金の素性(納付書の情報)をデータ化して県に納めなければなりません。また、年に1度、自動車税の納付もあり事務のピーク対策も重要でした。県側も初めてシステムで財務会計を行うためノウハウが少なく手探り感が漂っていました。
金融機関としても、財務会計とは何?から始まり、県の要望と金融機関でできることの調整にはかなりの時間を要しましたし、それをシステム化するにも大変でした。
​しかし、県の担当者と私の目的、価値感の一致をみることができて、大きな衝突もなく無事稼働に漕ぎつくことができました。特に県税の責任者の方は、県のシステムの生き字引のような方で頑固でしたが、良く議論もしましたが、一度決めたことは、両者とも貫き通すことで信頼関係が深まりました。その当時県税の責任者は50歳くらいでしたが、とても熱く語り合ったことを今でも覚えています。
38歳 ファームバンキングの受信システムを構築しました。
ファームバンキングが一般的になり、顧客数が増加すると当然データ量が増え、回線数も増やす必要がありました。しかし、大型汎用コンピュータによる受信システムの再構築はとてもコストが高く導入に踏み切れませんでした。
しかし、何度も容量不足でトラブルが発生するようになり、いよいよ年貢の納め時かと考えていた矢先、当時の会社名で「セイコープレシジョン」さんからサーバーで受信システムが構築できることを知らされ、共同開発に着手。汎用コンピュータで更新するよりはるかに安く、かつ、拡張性に優れたシステムが構築できました
このプロジェクトでは、設計から機種選定、構築、移行など全ての局面で担当営業の方の献身的な対応をいただき、今でも感謝しています。彼がいなければ、初めての失敗プロジェクトになっていたかもしれません。
​ちなみに、この仕組みは、他社にも販売できたそうで、私的にもほっとしています。
​​メーカーの記事はこちらから
42歳 アウトソーシングの契約見直しを担当しました。
もう時効だとお思いますが、前職の銀行はオンライン停止の事故を起こしてしまい、その原因が、システム開発が管理不十分であると判断され、当時地方銀行のシステムを手掛けていたメーカー系のベンダーにシステム開発をアウトソーシングすることになりました。
その当時は、まだ経営環境も悪くなく収益が安定していたのですが、規制緩和やサブプライム問題など銀行が儲からなくなってきました。しかし、アウトソーシング契約は昔のままで高コスト状態でした。
汎用コンピュータの寿命は長いのですが、10年を超えると延長料金が嵩み、新しいハードへの移行が必要になりました。
そこで、過去のアウトソーシング契約の中身を精査して新しい契約に反映させるミッションが与えられたのです。
詳細に書くと紙面が足らないので、要件だけ記載しますが、「昔のコンピュータは増設が困難だから10年先も使えるスペック(仕様)のコンピュータを導入する」ことが基本であり「今必要なスペックよりかなりオーバーしている」し、かつ「10年後の必要スペックも過大評価している」ということが判明したのです。右肩上がりの時代の契約ですから仕方がありませんが、今、再契約する場合は是正されねばなりません。
私がここで学んだことは、
 1.システムは不確実性が高いので機器の規模は10年の期間で考えるのではなくもっと短期間で考える。
 2.ハードよりソフトの安定性(継続性)が重要である。
 3.過大にならないように注意してシステムのサイジング(規模決定)する。
 4.ベンダーロックに気を付ける
です。
この交渉は大変にハードでした。しかし、相手の理事(交渉の責任者)とも、事実を基に経営への説明責任を全うできる答えを探すという点で一致できて、双方が納得(?)できる再契約ができたと思います。
​しかし、理事さん、社内調整ありがとうございました。本当に大変だったと思います。
46歳 サーバー統合を行いました。
大型汎用コンピュータ(ホストシステム)の役割は、勘定系(預金貸金の元帳やお金の出し入れ処理)が主になり、新しい仕事は、どんどんサーバーで稼働するようになりました。1システム1サーバーで構築していたら、あれだけ広かったマシーン室が満杯になり、消費電力もうなぎのぼり。対策を打たないと新しい仕組みの導入ができなくなってしまいます。
そこで、小さなシステムを収容する仮想サーバーを構築し、試験的に運用することにしました。その当時はまだ仮想化は一般的ではなく、かなりチャレンジャーでしたが、ハードの保守が切れるシステムの受け皿として構築しました。
今では、ほとんどのシステムが仮想環境で稼働して、狭くなったマシーン室も広くなり、その後、空いたスペースが事務室に転用されたと聞いています。
システム担当者は保守的な面は大切ですが、新しい技術への関心とチャレンジを忘れてはいけないと考えています
49歳 無停電装置(CVCF)の更新にも携わりました。
無停電装置も耐用年数が経過してリプレースする時が近づいて来たころ、電力の利用料がピークを迎えていました。当時の消費電力は大型のサーバーが大量の電気を消費し、汎用的なCVCFの容量をオーバーしており、特注品になる規模でした。特注品になると、価格も跳ね上がり保守費用も高くなるため、省電力が必須でした。
職員が使用しているパソコンは、デスクトップ型の旧式で消費電力が大きくCVCFに大きな負荷がかかっていました。
そこで、パソコンをノート型に更新すると同時に、通常の電源に接続するように運用を変更しました。また、マシーン室にあるサーバーの仮想化を進め省電力化を行い、その結果、汎用CVCFの容量内に何とか収まるようになりました。
制限があるなら、創意工夫で制限内に納める。やる気と根気、協議と強調、コミュニケーションの重要性を感じた仕事でした
50歳 ホストの移行(IBM→ユニシス)に携わりました。
アウトソーシング契約の見直しを行い、ある程度のコストダウンを実現できて経営的にはOKでしたが、30年以上長きに渡って使用してきたシステムは、修正に修正を重ねた結果、複雑になりすぎて保守メンテナンスが困難になり、新しいシステムに移行することになりました。どこのメーカーが良いのかは、携わりませんでしたがユニシスに決定した後から私の出番となりました。
ユニシスのシステムは、先行行のノウハウを活用して短期間に移行を完了させることができる点がメリットでした。しかし、先行行の仕組みも、当行が導入する時点では早くも技術的に古い部分も散見され、そのまま受け入れることは費用的にも問題があると判断しました。
​一番の課題は、通信回線の使用方法でした。当時まだ高額であった専用線を目的別に敷設する計画でしたが、サービスごとに利用時間を調査すると、同時に使用する時間帯がないことが判明。回線の統合を進め大幅なランニングコストの削減に成功しました。
また、大型プリンターの導入も予定されていましたが、当行はペーパレスを進めている中、大型プリンターは不要と判断し、最小の構成のプリンターに変更しました。もし、計画通り大型プリンターを導入していれば先に更改したCVCFの容量をオーバーする可能性もありました。
システムの将来像を見据えて不必要な装備や無駄な投資を厳しく査定する必要性を痛感したプロジェクトとなりました。
52歳 本店移転プロジェクトに携わりました。
いまでこそ「働き方改革」とよく聞きますが、本店建て替えを念頭にコミュニケーション改革を始めた頃は、まだあまり注目されていませんでした。
その当時のコンセプトは「どこでもオフィースの実現」です。社内外を問わず仕事ができる環境を構築することが目的でした。このプロジェクトの前に、Androidのタブレット端末とグループウエアーを活用した営業支援システムを構築しましたが、通信エリアの問題や仮想化システムの不具合などでうまく機能しませんでした。
そこで、新たな取り組みとしのプロジェクトマネージャーとして参画したのです。
このプロジェクトは、前回の経験を活かして、局所的なシステム化ではなく、全体最適化を目指したプロジェクトとなりました。単に作業を無線化した端末で行うことを目的とせず、そこからどのような価値が創造されるかを定義することから始めました。その結果ハードの要件として、①全社員にスマホを配備、②全社員にタブレット型PCを配備、③固定電話の廃止、④端末のシンクライアント化がきまり、運用としては、①完全ペーパレス化の推進、②どこでもオフィースによる業務の効率化、③アドレスフリーによるコミュニケーションの円滑化など具体的な効果を目指しました。
最先端の技術を実際に構築できたことは大変に参考になる経験でした。反省点としては、あまりハードのコストを削減すると別のところ(調整等)でコストがかかるという事実を思い知らされました。また、最先端の技術で障害が発生した場合、解決策は手探りで探さなければならず大変であると知らされました
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54歳 グループウエアーを作ってしまいました。
グループウエアーは、現代のビジネスにおいて無くてはならないシステムです。しかし、有料・無償のシステムは、沢山の機能が実装されているけれど、自社のビジネスフローでは使いずらい場合が多いと思います。
特に、既成のグループウエアーと人事システムや会計ソフトとの連携は困難であり、カスタマイズ費用も高額になりがちです。また、運用費用も1ライセンス当たりいくらで課金されるため社員数が多いと固定費が膨れ上がります。
そんな理由から、ビジネスで必要な機能、Webメールや電子稟議、社員証発行、出退勤管理などを内製化することにしました。その際に採用した開発スタイルが「アジャイル」です。
「アジャイル」とは、必要最小限度のシステムを構築して、使用しながらシステムを成長させてゆく手法です。従来の開発方法であれば、最初に使用者のニーズを想定して一括して開発するため、使用しない機能を開発したり、実はとても使いづらかったりするのですが、「アジャイル」では、早い段階からユーザーの目に晒されて、本当に必要な機能を使いやすく実装できる利点があります。
2年半の間に、前述の機能の他に、ストレスチェックをオンラインで行ったり、eラーニングを開発したり、オンラインアンケートの仕組みを作ったり、旅費精算システムを構築したり、予算策定システムを作成しました。
短い時間でしたが、新しい職場で精一杯システム開発ができたことはとても楽しい時間でした
57歳 エターナルグロウスを起業しました。
開発がひと段落ついたところで、自分は本当は何をしたいのか、自問するようになりました。このまま、システム開発を行っていても、私のノウハウやスキルを後世に伝えることができない。人材育成することができない。という漠然とした不満がたまっていきました。そんな時、あるきっかけで退社、約9か月間無職で暮らしながら、いろいろと考えていると、監査人協会の重鎮からITコーディネータを紹介され、その資格を取得を決意しました。
ITコーディネータの勉強を始めて思いました。私の経験やノウハウを企業活かして、成長する手助けを行うことITコーディネータの使命であり、私の行いたいことであると。
資格も無事取得し、幅広い方々のお役に立ちたいとの思いから法人を設立し本日に至っています
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