13 責任と保障
仕事に焦点を合わせる
人が責任という重荷を負うために、いかなる手立て、誘因、保証が必要か。責任に応じてもらうために、企業やマネジメントは何をしなければいけないか。
それは、『仕事』にフォーカスすることである。仕事自体に働き甲斐がなければどうにもならない。
しかし、これまでの歴史からみると、働くことと、働く者への取り組みは、『仕事』以外にフォーカスしてきた。マルクス主義は、所有関係にフォーカスし、家族的マネジメントの信奉者は、福利厚生にフォーカスした。これらの取り組みは無駄ではないが、働き甲斐にとって代わるものではない。
三つの条件
仕事に『働き甲斐』を与えるには、仕事そのものに責任を与えなければならず、その為には、三つの条件がある。
①生産的な仕事
仕事を分析せず、プロセスを統合せず、管理手段と基準を検討せず、道具や情報を設計せずに仕事に責任を持たそうとしても無駄である。独創性といえど、基礎的な道具があって初めて力を発揮できる。正しい仕事の構成は直感的(本能的)に知り得る代物ではない。
②フィードバック情報
成果についてのフードバック情報を与えることで、自己管理が可能になる。
③継続学習
継続学習は、肉体労働と同様に事務労働にも必要である。知識労働には更に必要である。知識労働が成果を上げるには、専門化しなければならない。つまり学習集団とならねばならないのである。
これらの三つの条件は、マネジメントが一方的に取り組むべき課題ではない。これら三つの条件は、実際に仕事行う者が、仕事、プロセス、道具、情報についての検討に初めから参加しなければならない。
仕事を如何に行うべきかを検討する事は、働く側の責任である。
従って、仕事、職務、道具、プロセス、技能の向上は、働く側の責任である。
これは厳しい要求である。しかし、満たすことが出来る要求でもある。
現場コミュニティにおける責任
工場や事務所には、職場のコミュニティがある。
働く者に仕事の成果をあげさせるためには、この職場コミュニティに実質的な責任を与える必要がある。
マネジメントが職場のコミュニティににとって重要な事(従業員食堂、休暇の調整、レクリエーションなど)に関与することは避けるべきであり、現場のコミュニティに任せるべきである。
このような問題の扱いにより現場の士気に影響を与える。しかも、いかにこれらの問題をマネージメント側が良い対応を行っても士気をあげることができない。ゆえに、現場のコミュニティに任せるべきである。
現場のコミュニティの自治は、民主主義でなくても良い。日本型の年功序列でも良い。重要な事は、職場コミュニティの問題は自治でなければならない。その意思決定の責任は、直接影響を受ける者に与えなければならない。
誰もがマネジメントである
マネジメントの権限と権力、意思決定と命令、所得の格差、上司と部下という現実は続く。存続し続ける。
しかし、われわれには、誰もが自らをマネジメントの一員とみなす組織を作り上げるという課題がある。
身分の保証
仕事と収入を失う恐れがある中で、仕事や集団、成果に責任を持つ事はできない。だから、責任の重荷を負うには、仕事と収入の保証がなければならない。
必要なのは、仕事と収入に関わる法律上、あるいは、契約上の保証ではない。責任を持たせるために必要な保障とは、「約束ではなく実行」である。
給与を払い続けていても現実に仕事を与えなくては失業と同じ不安を感じる。
必要なのは、収入の保証だけではない。
必要なのは、働く者を社会の生産的な一員にする仕組みである。
ここでは、マネジメントの限界を示唆している。きわめて日本的な組織運営を目指している。全社のリクリエーションより、職場内での活動の方が満足度が高く士気を高められる。その運営は、年功序列てきな運営でも良いが、結果はコミュニティ内で共有することで、チームワークが醸成される。
そして、身分の保証は、昔「窓際族」という言葉があったが、当事者の苦しみについて思い至れなかったが、ドラッカーは喝破している。素晴らしいと思います。
14 人は最大の資産である
なぜ成功例に学ばないのか
これまで述べてきた成功例は、周知の事実であるが、どうして先人に学ばないのであろうか。
誤解と恐れ
働く者に主体的に成果をあげさせるという課題を直視しない理由は、権限と権力の混同にある。
労働者側が、責任を持ちたいとの要求に対して、それを権限の放棄を要求するものと誤解し、抵抗する。自らの権限を危うくすると誤解があるからである。
権限と権力の混同による好ましくない結果に陥った例は珍しくない。かつて分権化が大きな抵抗を受け、トップマネジメントは弱体化し、失権を招くと心配した。しかし、今日では、あらゆるマネジメントが、分権化はトップマネジメントを強化すると学んだ。トップマネジメントの権限は、分権化により増大する。
もう一つの恐れは、働く者やコミュニティに責任を持たせ、分権が進むと、高度な要求がなされることを恐れた点だ。つまり、自信の仕事に責任を持つ者は、マネジメントが報酬にふさわしい仕事を要求するようになると考えた。
人のマネジメントは、人の強みを発揮させることである。しかし、人は弱い。問題を起こす。手続きや雑事を必要とする。人は費用であり脅威である。
しかし、人が雇われるのは、強みがある故であり、能力を有しているからである。組織の目的は、人の強みを生産に結びつけ、人の弱みを中和する事にある。
人こそ最大の資産
「人こそが最大の資産である」「組織の違いは人の働きだけである」と言われており、実際、人以外の資産は全て同じ扱いである。
マネジメントのほとんどが、あらゆる資源のうち、人が最も活用されず、潜在能力も開発されていないことを知っているにも関わらず、実際には、問題、雑事、費用、脅威の発生と対処を対象に対して重点的にマネジメントしている。
実行
必要な事は、実際に実行することである。それは、ビジョンや態度を変えるよりやさしい。
①仕事と職場に対して、成果と責任を組み込む
②共に働く人たちを活かすべきものとして捉える
③強みが成果に結びつくように人を配置する
である。
これらの施策により、マネージメントとマネージャを人事管理から真のリーダーシップへと進める。
マネジメントとは、人の弱さを補い、人の強みを伸ばし、成果を上げることが仕事である。その方法として自立促しと権限委譲することが大切であり、また、現場の自治を尊重することで、必要な場所で必要なリーダーシップが芽生え、活き活きとした職場になると言っています。
とても納得です。
これで、第三章は終わりました。
第四章は社会的責任です。社会的な責任は、マネジメントにとって第3番目の役割です。社会的課題に対しての影響力につてい議論が進んでいきます。
ご期待ください。
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