21 マネジャとは何か
組織の成果に責任を持つ者
かつて、マネジャーは、「人の仕事の責任を持つ者」と定義されてきた。この定義は、その当時としては正しかった。マネジャーの機能を、オーナーと管理機能を分離した独立した仕事であることを明らかにした。
だが、この定義は、社会は満足できなかった。組織には最初から、マネジャーは存在し、しかも、責任のある地位に就きならな人の仕事に責任を持たない人がいた。
あらゆる組織、企業において、もっとも急速に増加しているのは、「組織の成長に責任を持つ者」である。彼らは人の仕事に責任を持つ者であり、ボスとは違う。専門家として組織に貢献している者たちである。彼らは基本的に一人である。そして、その者が、組織の富を生み、事業の方向や業績に重大な影響を与えている。
新しい定義
マネジャーを見分ける基準は「命令する権限」ではない。「貢献する責任」である。いわゆるマネジャーと専門家との関係も、マネジャーを責任と機能によって定義することで明確化できる。
専門家の課題
専門家には、マネジャーが必要である。専門家の知識と能力を全体の成果に結びつける事こそが、専門家にとって最大の問題である。
しかし、専門家は専門用語を使いがちであり、専門語なしでは話せない。専門家は、理解してもらって初めて有効な存在となるが、伝える事ができない。理解されない。
その事を専門家に認識させることがマネジャーの仕事である。
組織の目標を専門家の用語に翻訳し伝え、専門家のアウトプットを、その顧客言葉に翻訳する事がマネジャーの仕事である。
言い換えるならば、専門家が、自らのアウトプットを他の人の仕事と統合する上で、頼りにすべき者がマネジャーである。専門家が効果的であるためにはマネジャーの助けが必要である。
マネジャーは、専門家のボスではない。道具、ガイド、マーケティング・エージェントである。
逆に専門家は、マネジャーの上司となり得るし、上司とならねばならない。専門家は、自信が所属するマネジメントを導き、新しい機会、分野、基準を示さなければならないからだ。この意味において、専門家は自のマネジャーよりも、さらには、組織内のあらゆるマネジャーよりも高い立場に立つ。
専門家の機能と地位
従来、組織の中の昇進経路は一つしかなかった。より高い地位と報酬を得るには、マネジャーになる必要があった。しかし、認められるべき人が認められない一方で、管理する事を望みもせず、その能力がない者が、単に認められ報われたいがためにマネジャーとなる。
機能と地位は切り離さなければならない。
軍では昔から行っている。「少佐」は地位である。それだけでは、大隊の指揮官であるか、国防総省の研究家、すなわち専門家であるか分からない。そこで軍では、「少佐」という地位の他に「大隊長」や「○○専門家と言った機能上の肩書を与えた。
従来のマネジャーの定義は、管理する者が優れているため多額の報酬を得る意味合いを持っていた。
つまり、工場の組み立てラインや事務作業のように、目標や貢献について責任を持つ事が期待されていない知識労働者については意味があった。
しかし、真の専門家というべき人達、つまり、特定の分野において組織内でリーダーとみなされている人たちには意味をなさない。
野球のスター選手が監督やコーチより多額の報酬を得ているケースや、トップセールスマンが、地域担当販売部長より多くの報酬を得ることが当然ある。
マネージャであれ、専門家であれ、マネジメントの一員であることには違いが無い。その両者は、機能でも貢献でもなく、手段が違うだけである。両者は同じマネジャーである。
22 マネジャーの仕事
二つの役割
マネジャーには、二つの役割がある。
①部分の和よりも大きな全体、すなわち投入した資源の総和よりも大きなものを生み出す生産体制を創造することである。
これは、オーケストラの指揮者に似ている。
マネジャーは、自らの資源、特に人的資源のあらゆる強みを発揮させると共に、あらゆる弱みを消さなければならない。これこそ真の全体を創造する唯一の方法である。
マネジャーは、「マネジメントの一員としての事業のマネジメント」「人と仕事のマネジメント」「社会的責任の遂行」という三つの役割を果たさなければならない。このうち、一つでも犠牲にする決定や行動は、組織全体を弱体化させる。ゆえに、三つの役割全てを適切に行わねばならない。
②そのあらゆる決定と行動において、直ちに必要とされているものと、遠い将来に必要とされるものを調和させる役割もある。どちらを犠牲にしても組織は危険に晒される。
今日の為に明日を、明日の為に今日の犠牲を計算し、それらの犠牲を最小限に止めなければならない。それらの犠牲をいち早く補わなければならない。
マネジャーの仕事
実際には、マネジャーは、雑用に追われている。しかし、あらゆるマネジャーに共通の仕事は、以下の5つである。
①目標を設定する
②組織する
③動機づけとコミュニケーションを図る
④評価測定する
⑤人材を開発する
これらの基本全てについて、能力と仕事ぶりを向上させれば、マネジャーとして進歩する。
マネジャーの資質
マネジャーは、人という特殊な資源を扱う。
人を管理する能力、議長役や面接能力を学ぶこともできる。管理体制、昇進制度、報酬制度を通じて人材開発に有効な方策を講じることもできるが、それだけでは不十分である。
愛想よくする、人を助ける、人付き合いをよくすることが、マネジャーの資質として重視されるが、それだけでも不十分である。
事実、うまくいっている組織には、不愛想で、人を助けず、わがままなのに、人を育て、好かれている人より尊敬を集める人がいる。そういった人は、一流の仕事を要求し、自らも要求する。基準を高く定め、それを守ることを期待する。何が正しいかだけ判断し、誰が正しいかを考えない。
真摯さよりも知的な能力を評価しない。
マネジャーの仕事の多くは、学ぶことが出来るが、後天的に身に着ける事が出来ない資質は、才能ではなく、「真摯さ」である。
最大の貢献
イギリスが200年にわたって広大なインドを支配できたのは、若いミドルマネジメントであり、それを可能にしたのは、広く、かつ、挑戦に満ちた仕事を与えられたからである。
マネジャーの仕事もまた、十分な大きさと重さのあるものにしなければならない。マネジャーとは、組織の最終成果に直接の責任を持ち貢献を行う人間であるゆえに、その仕事は、常に最大の責任と最大の挑戦を伴い、最大の貢献を可能にするものにしなければならない。
職務設計の間違い
マネジャーの仕事に関して正しい職務設計を保証する事はできないが、マネジャーの動きを妨げるような間違いを知り、避ける事はできる。
①職務を細かく設計すると優れた者が成長できなくなる。
数年で身に付くような狭い職務では、優れた者は欲求不満に陥り、さしたる仕事も行わなくなる。マネジャーの仕事は、その職にある限り、学び、育つことができるものにしなければならない。
②補佐役という職務、つまり、仕事とは言えない職務は有害である。
マネジャーの仕事には、目的、目標、機能が無ければならない。ところが補佐役には直接貢献できる仕事が無い。独自の目的、目標、機能が無く、あるのは、ボスに自分を売り込む事だけであり、人を堕落させる。
補佐役は、期限を限定する必要がある。期限が終われば、マネジャーに戻さなければならない。
③マネジメントとしての十分な仕事量を与える。
マネジャーが抱えるマネジメントの仕事は十分な仕事量でない場合が多い。すると、部下の仕事を取ってしまい、権限を委譲してもらえないという苦情が出てくる。
仕事を持たない事は耐え難く、特に働くことが習慣となっている者は、なおさらである。
④マネジャーの仕事は、本人と直属の部下で行えるものにしなければならない。
会議調整やひんぱんに出張しなければならない職務もマネジャーの仕事にはならない。仕事と会議や旅行が同時に出来ないからである。
⑤マネジメントの仕事の不足をポストで補ってはいけない。
報奨をポストで補ってもいけない。それは期待だけを与えることになる。肩書は地位と責任を意味する。つまり、地位と責任の代わりに肩書を与えてはいけない。
⑥「後家づくり」の仕事は設計し直さなければならない。
19世紀の大航海時代、理由は分からないが事故を頻繁に起こす船があった。分別のある船主は、そのような船は「後家づくりの船」として解体した。
仕事にも、同様に、優秀な人材を潰してしまう部署が存在する。そのような部署は、偶然に、特殊な技能と資質を持ち合わせた者が作った職務であり、普通の人には務まらない部署である。そのような部署は解体し再設計すべきである。
マネジメント限界の法則
教科書には、一人が監督できる部下の数に限界があるという「マネジメント限界の法則」を説くが、そのような法則の信奉は、マネジメントを歪め、いたづらにマネジメントの階層を深めるだけである。
部下が何人いるかは問題ではない。重要なのは、人間の数ではなく関係の数である。部下との関係は、マネジャーの扱う関係の一つに過ぎない。
職務設計の視点
かくして、マネジャーの仕事は四つの視点から設計せねばならない。
①マネジャー本来の機能
マネジャーの仕事そのものであり、継続的な職務を規定する。例えば、市場調査部長や製造部長といった仕事である。
②割り当てる仕事
個々のマネジャーに期待する貢献を明らかにはできないが、マネジャーに割り当てる仕事というものがある。これは、個々のマネジャーに対して、組織や上司が設定する責任である。この貢献の責任が、職務規定に示したものを超えている事が、優れた成果をあげる者の印である。
③マネジャーの仕事は、上下左右との関係により規定される。
④マネジャーの仕事は、必要とする情報とその情報の流れにおける彼の位置によって規定される。
これらの四つの視点から、自らの仕事を主体的に知ることは、個々のマネジャー本人の責務である。彼らに期待すべきことは、自図からの職務を書き表し、彼ら自身、並びに、彼の部門が責任を負うべき成果と貢献について提案し、他の関係を列挙し、必要とする情報と他に貢献できる情報を明らかにすることである。
これらについて考える事がマネジャーにとって最大の責任であり、この責務から逃れられない。
23 マネジメント開発
体系的に取り組む
未来を予測する事は不可能である。従って、決定したことを実行し、時には修正するもの、すなわち、明日のマネジメントを行うものを、試し、選び、育てて初めて今日の意思決定を責任のあるものに出来る。
マネジャーは、育てるものであり、生まれつきのものではない。従って、明日のマネージャーの育成、確保、技能について体系的に取り組まねばならない。
マネジメント開発にあらざるもの
はじめにマネジメント開発に当てはまらないものを明らかにする
①マネジメント開発とは、セミナーに参加することではない。
セミナーは一つの道具であり、いかなる種類のセミナーよりも、実際の仕事、上司、組織内のプログラム、一人ひとりの自己啓発の方が大きな意味を持つ。
②マネジメント開発は、人事計画やエリート探しではない。
それらのものは全て無駄である。有害ですらある。
組織がなしうる最悪の事は、エリートを育成すべく他の者を放っておくことである。10年後、仕事の8割は、その放っておかれた人たちが担う。しかも、彼らは軽んじられたことを覚えている。成果は上がらず、生産性は低く、新しい事への意欲は失われている。他方、選ばれたエリートの半分は、40代にもならば、口だけが上手かっただけと判明する。
③マネジメント開発は、人の性格をお変え、人を改造するするためのものではない。
成果を上げさせるためのものである。強みを最大限に発揮させるためのもの、人の考えではなく、自分のやり方によって存分に活動できるようにするためのものである。
雇用主たる組織には、人の性格や人格をとやかく言う資格はない。
雇用関係は、特定の成果を要求する契約に過ぎない。
他の事は、なにも要求しない。
それ以外の如何なる試みも、人権侵害である。プライバシーに対する不当かつ、不法な侵害である。権力の乱用である。被用者は、忠誠、愛情、行動様式について何も要求されない。要求されるのは成果だけである。
これで、136ページまで進みましいた。
昔、「地獄の特訓、リーダ養成合宿」が流行したことを思い出しましいた。
また、精神論で契約を奪取するための特訓もありました。
ドラッカーは、その全てを否定しています。
マネジメントは、合理的、かつ、実現可能なものであり、その目的は、あくまで「成果」であると強調しています。
次章は、自己管理による目標管理となります。
最近まで、マネジメントといえば、目標管理でしたが、私たちが経験した目標管理の在り方は、ドラッカー流で言えば、正しいのでしょうか。
ご期待ください。
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