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経営者支援 ITコーディネート業務効率化システム構築

執筆者の写真清水 尚志

第六章 マネジメントの技能②

29 管理


管理手法の特性


組織における管理手段には3つの特性がある


①管理手段は純客観的でも、純中立的でもあり得ない。

物理的な現象の測定は、純客観的かつ純中立的になり得るが、組織において我々が扱う人間社会では、あり得ない。

管理の為に測定を行う場合、測定する側もされる側も変化する。

従って、管理に関わる根本の問題は、如何に管理するかではなく、何を管理するかにある。


②管理手段は成果に焦点を合わせなければならない

組織は何らかの貢献を行うために存在する。その貢献の成果は外部に表れる。企業の利益は、社外の顧客からもたらされる。社内にあるのは、コストセンターだけである。すなわち、管理的な活動の対象となっているものは、コストに過ぎない

これに対して、組織の成果は、起業家的な活動にある。そもそも、起業家的な活動のコンセプトが確立されていない。これまでは、組織内の現象等については、分析が進められていたが、起業家的な活動に関する考察は皆無であった。

効率は、測定可能だか、成果を定量的に測定するすべがない。いかに、効率が測定可能だからと言って、効率性ばかりを管理すると、いづれ企業は滅ぶ


③管理手段は、測定可能な事象のみならず測定不能な事象に対しても適用せねばならない。

組織の内部にも、極めて重要であるが定量化出来ないものがある。定量化できない要素を評価しない結果、優秀な人材を惹きつけ、引き止められないために、弱体化する企業や産業がある。優秀な人材を引き留めておくことの方が、前年度の利益より重要である。

測定できるものは、過去のものである。未来ではない。定量化に成功している事ほど、定量化された項目に注目が集中し、それ以外が管理されていない傾向が強く、企業の成長を妨げる


管理手段の条件


あらゆる管理手段は、7つの条件を満たしていなければならない。


①管理手段は効率的でなければならない

必要とする労力が少なければ少ない程、優れた管理である。


②管理手段は意味のあるものでなければならない

管理の対象として管理するものは、商品のシェアーなど経営方針に影響があるものや、人事考課に必要な出勤状況など意味のあるものに限る。定量化できるという理由で管理してはいけない


③管理手段は、測定の対象に適していなければならない

測定対象の位置付や機能を考慮して管理手段を設定しなければいけない。重要な部門の管理は十分に行う必要がある。


④管理手段の精度は、測定の対象に適していなければならない

誤差が20%以上ある管理対象の定量的数値を、小数点6位まで求めることは、無駄である。


⑤管理手段は、時間的間隔が測定の対象に適していなければならない

頻繁な報告がより良い管理を意味しない。逆に管理を無効にする。


⑥管理手段は、単純でなければならない

管理手法は複雑であっては機能しない。事態を混乱させるだけである。肝心の管理の結果より、管理の方法に関心が移る。


⑦管理手段は、行動に焦点を合わせなければならない

管理の目的は、情報収集ではなく行動である。従って、報告、調査結果、数字など管理手段となる情報は、全て管理のための行動を起こす事のできる者にまで到達しなければならない。


真の管理とは何か


如何なる組織であっても、メンバーの欲求やニーズを満たさねばならない。それこそが賞や罰であり、各種の奨励策、抑止策である。給料のように定量的なものもあるが、多くは、定量的なものではない。定量化は不可能である。

如何に管理手段が、コンピュータやオペレーションリサーチ、シミュレーションなどの道具を用意しても、定性的な管理手段としての賞罰、価値とタブーと比較すると第二の地位となる。


 

30 経営科学


経営科学への期待


経営科学(マネジメント・サイエンス)は、大きな貢献を果たしうる道具である。しかし、マネージャーが経営科学者である必要はない。如何に使いこなすかが重要である。しかし、現在、経営科学を使いこなしているマネージャーはいない。


経営科学誕生の経緯


経営科学は、あらゆる学問が研究対象の定義から始まるところ、他の学問が開発したコンセプトと方法論を借用したところに不幸の種がある。

その結果、経営科学の仕事のほとんどが、企業とは何か、マネジメントは何か、企業とマネジメントに必要なものは何か、に関心を払わずに、借用した方法論をどこで活躍させるかに知恵を絞った。結果、学問の成果より、道具の方法論にばかり注意が払われた。その結果、現場では役に立たなかった。


科学的であるためには、対象とすべき領域を定義し、包括的、かつ、一貫した公準・定義を形成する必要がある。この定義には、「企業とは、人から成るシステムである」との理解が不可欠であり、経営科学は、現実のマネジメントの前提、目的、考え、間違えまでも基本的な事実ととらえ、研究・分析されなければならない。


経営科学が公準とすべきもの


公準には5つの事実が含まれる。


①企業は、最強最大のものであっても、社会や経済の力によって容易に消滅させられる存在であり、社会の下僕である。


②企業は、単にモノや考えを生み出す存在ではない。人が価値ありと認めるものを生み出す存在である。見事に設計された組織であっても、顧客の役に立たなければ単なる廃物である。


③企業は測定の尺度として特有のシンボル、すなわち「金」を使う。それは抽象的であるとともに、驚くほど具体的な尺度である。


④経済的な活動とは、現在の資源を不確かな未来に投入する事である。事実ではなく期待に投入することである。企業にとって、リスクは本源的なものであり、リスクを冒す事こそ基本的な機能である。


⑤企業の内外で、後戻りのできない変化が常に起こっていると同時に、企業は、産業社会における変化の主体でもある。新しい状況に適合する進化の能力を持つと同時に、周囲の状況に変化をもたらす革新の能力を持つ。


これらの公準は、経営科学の文献の序文には出てくるが、序文以外では記述がない。

経営科学にとって重要なのは、独立した真の学問としての自覚を持つ事である。


科学としての姿勢


経営科学がなぜ間違って使われているか、の鍵は、リスクに対する態度にある。経営科学は、企業活動への適用においての最終目標はリスクを無くすか最小にする事にある。


しかし、企業活動からリスクを無くそうとしても無駄である。企業活動は、現在の資源を未来の期待に投入するのであるから必然的にリスクを伴う。リスクを最小化しようとする試みも、リスクを非合理的で避けるべき事とする考えが根底にある。そのような考え方は、最大のリスクである「硬直化」を招いている。


経営科学の主たる目的は、正しい種類のリスクを冒せるようにすることである。いかなるリスクが存在し、それらのリスクを冒した場合何が起きるのかを明らかにすることである。


つまり、経営科学は、その対象(リスク)を真面目に取り上げることにある。


マネジャーの役割


マネジャーもまた、経営科学の潜在能力と実現とのギャップについて責任がある。マネジャーは、経営科学や経営科学者が必要としている情報を与えることができ、しかも、与えなければならないのに、与えていない。


経営科学を生産的にするには、次の4つの事を期待し、あるいは要求しなければならない。


①仮定を検証する

②正しい問題を明らかにする

③答えではなく代替え案を示す

④問題に対する公式ではなく、理解に焦点を合わせる


これらの要求は、経営科学が計算の道具ではなく、分析の道具であるという前提に立っている。

経営科学の目的は、あくまでも診断を助ける事にあり、万能薬ではなく、処方箋でもない。

経営科学は問題に対する洞察でなければならない。


経営科学の潜在的な力を引き出すのは、マネジメントである。マネジャーたるものは、経営科学とは何であり、何をなしうるのかを理解していなければならない。


 

これで177ページまで進みました。

次回は 第七章 マネジメントの組織 となります。


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